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ゲーム情報&ブログ企画もの、『ゲームジェネレーションズ』ファミコン編第1回(1983年~1985年)ファミコン誕生!ゲーム革命が始まる



ゲーム情報&ブログ企画もの、『ゲームジェネレーションズ』ファミコン編第1回(1983年~1985年)ファミコン誕生とその足取り、当時の少年少女にはどのようにして支持されていき、ゲームは魅力にあふれていたか?を紹介します。



当時の家庭用ゲーム機としては群を抜く高性能を備えており、本体の記憶域についても「複雑なゲームに耐えるよう、巨大なスペースを持っている」と評された[13]。コストと性能のバランスを考慮した上で汎用性を割り切った設計になっている。[17]

主記憶は、アプリケーションのROMカートリッジによる供給を前提に、16KbitのSRAMで構成されている。音源は、デューティ比の変更が可能な矩形波と、ノイズ、三角波、DPCMが使用可能になっており、当時の低価格帯の汎用音源[注釈 5]を搭載したハードウエアよりも高い表現力を有しており、カートリッジ側とミキシング可能になった拡張スロットは、さらにその拡張も可能にしていた。

また、NTSC信号を直接生成し、スプライトを含むキャラクターに対し、カラーで制御が可能になっているカスタムチップによる設計は、汎用チップで構成された低価格帯のコンピュータや、ゲーム機に対し、その発売されたソフトウエアも相まって、特にキャラクタが多く動くリアルタイムゲームの実行という目的において大きな優位性を示した[注釈 6]。

仕様は下記の通り[18]。



ロムカセット(カートリッジ)によりゲーム内容を交換できる方式である。
CPU:リコー製RP2A03(MOS 6502にサウンド用DACおよびDMA転送機能を追加し、BCD演算機能を削除したカスタムチップ。1.79MHz動作。8bit。)
音源:pAPU 上記のとおり、CPUに組み込まれている。下記の項目に詳述。
ビデオ用PPU:リコー製 RP2C02
ラスタ検出可能(0番スプライトの表示ラインによる)
ワーキングRAM:2kバイト(16kビットSRAM)
VRAM:2kバイト(16kビットSRAM)
表示画素数:横256ドット×240ライン(表示可能な範囲外を含む)
本機はVRAM上の理論値240ラインのうち上下端の数ラインはRF出力ではまともに表示できず、実質的には224ラインほどが有効[注釈 7]。それを見越して本機はVRAM上の仮想的な上下端の数ラインに異常な表示が出ることを許容した設計になっている。エミュレータでは表示範囲の制限は無いため、上下の異常な表示を隠すため縦を(2進法で)切りの良い224ラインとすることもある。[注釈 8]
色表示性能:52色から56色まで諸説(数え方による)
RGBでの指定ではなく、NTSC信号を直接生成する方式のため、与えるパラメータは64種であるものの、(有彩色12色相+無彩色2系統)×4種類(彩度と輝度の組み合わせ)という構成。表示色の数が中途半端になるのは、無彩色の一部が重複しているため。



ファミリーベーシックの取扱説明書では52色と記述がある。
最終的に宮本茂が色を選択したと取れるドキュメントや記事もあるが、実際の仕様は色を一色ずつ選んで指定するようにはなっておらず、「色」を選択したのではなく、52色という色表現の選択幅を決定したとするのが正しいと考えられる。

同時発色数:25色

スプライト用、BG用それぞれ4パレットで、1パレットは4色で構成されるが、うち1つは全パレット共通色(スプライトの場合は透明色)となる。8パレット×3色+共通1色=25色

スプライト(オブジェクト):サイズ8×8ドットまたは8×16ドット1画面中に64枚表示可能(水平には8枚まで)

スプライトのキャラクターパターン(グラフィック)は64種類定義できる。
スプライトは、水平・垂直反転可能。

スプライトの表示位置は、BGの手前か後ろかを選べる。
BG画面:256×240の領域を2画面(追加VRAMにより最大4画面)
BGキャラクターはスプライトと同じく8×8ドットを256個。ただし、スプライトとは別にBGキャラクタセットを持てる。



色は16×16ドットの範囲ごとにパレットで指定。
内部的には256×240の領域を4つタイル状に並べた画面を構成し、そのうちスクロールレジスタによって指定された256×224の領域が表示できる。ただし、本体内のVRAMは2領域分しか用意されていないので、ロムカセット内の結線によって縦または横方向、単一画面にミラーされる。したがって、ロムカセットごとに縦スクロールをするか横スクロールをするかによって、都合のよい方を選択している。ソフトから切り替えられるようにしたロムカセットもある(下記MMCの項を参照)。また、ロムカセット内にVRAMを追加し、4領域をすべて使用することもできる。中にはキャラクタROMを256×224の領域として使用できるロムカセット[19]もある。

前述の制約から、カートリッジ側での拡張機能を使わずに上下左右にスクロールするゲームは、ミラーされている方向へのスクロールの際は、画面端でBGキャラクターの描き換えがチラついて見える。

PPUの制約から、テレビへの信号出力とBG面の描き換えを同時に行えない。このため、通常はVSYNC期間中にBG面の描き換えを行うが、一度のVSYNC割り込み期間内で描き換えられるのは32キャラクターに制限されている。このため、『ウィザードリィ』のような画面全体のキャラクター描き換えによる擬似3D視点タイプのゲームでは、テレビへの信号出力を止め(ブランクの信号を出力)、その間に画面全体を描き換える。このため、画面を描き換える度に画面全体がチラつく。なお、描き換え時にティアリングが発生しても問題ない場合はこの限りではない。
ACアダプタ端子、RF出力端子



コンポジットビデオ端子は発売当時は装備していたテレビが少数だったこともあり、搭載されなかった。基板から出る映像信号にアンプ回路を組み込み配線を引き出すことで、容易にコンポジット映像信号を出力させることが出来る。
RGBは出力していない(サードパーティ製の専用基板を取り付ける改造が必要[20]。)。

1ch / 2chチャンネルセレクトスイッチ(RF出力先)、ゲーム / テレビ切り替えスイッチ
初期にはなかったが、後にこれらの機能を説明するための漫画「これがファミリーコンピュータだ!! ファミリーコンピュータ編」が同梱されるようになった。
15ピン拡張コネクタ - ジョイスティック、キーボード、光線銃などが接続可能、独自規格。初期を除きカバーが附属。

カートリッジイジェクトスイッチ、電源スイッチ(スライド式)、リセットボタン、コントローラ×2(本体筐体内コネクタにて接続)
外形寸法:幅150mm×奥行き220mm×高さ60mm
重量:620g



・ゲームセンターのゲームがそのまま家で遊べた衝撃!!

当時、ファミリーコンピュータに真っ先に目をつけていたのは、少年少女ではありません。それは、いわゆる昔でもいたハードコアゲーマーです。彼らは10代後半~20代、30代もいました。そして、バブル前の日本で、ゲーム機がいろいろと出ては、それらを購入していき、そのゲーム産業の礎を築く原動力の一躍を担うことになります。

彼らの多くはゲームセンターにお金をつぎ込んで、ゲームをプレイしていたインベーダー世代から、それより少し若い世代、そして、それよりもうちょっと若い世代がベースになっていて、男性が中心というのも今のハードコアゲーマーに通じます。

ファミリーコンピュータが出ると、真っ先に買いに行き、そして、ゲームセンターで遊んでいたドンキーコング、マリオブラザーズなどの作品や、任天堂から出たロンチ近辺のタイトル11本(イラスト無しのカートリッジ)を買い、そのポテンシャルの高さに満足していきます。



・ファミコンカートリッジがイラスト入りになったのはいつから?

いわゆる任天堂製オリジナルカートリッジでは、ロンチの3本以降、11タイトルがラインナップされ、 その後に出た、テニス、ピンボールまで!

それ以降はイラスト入りのカートリッジになっていきました。



・最初のファミコンコントローラーボタンは■だった!

この初期型ファミコンの■ボタンは、いったい発売されていつ頃までこの形状だったのか、そして、何故変更されるに至ったのかというはその後判明していきます。

まず、このコントローラーはその後改良版として出る●ボタンに比べて、 へたりが早く、すぐにボタンが出てこなくなり、コントローラーを開けて交換しなければなならなかった のです。そのため、任天堂はすぐに一手を打ち、改良することになります。おそらく1984年に入る頃には■ボタンから●ボタンにシフトチェンジしていました。
正式には発売後半年後ということが判明しています。




樹脂はシリコン製で出来ていて、連打が効かず、シューティングゲームなどでその使い勝手の悪さが仇となり、ゼビウスなどで酷使されたボタンはあっという間に使い物にならなくなったそうです。



・最初のミリオンセラータイトルはハドソンのロードランナー!(1984年7月)

最初のミリオンタイトルは任天堂ゲームかと思いきや、実は違うんです!ハドソンが当時サードパーティーとして早期に参入を果たし、PC版から大胆なアレンジをしてオリジナルの制作者からも賞賛されたロードランナーが140万本の大ヒット!一躍ちびっこの目にも留まるようになったのはこの頃からです。

そして、このゲームを魅力的にしたのはエディット機能があったためです。
当時、オリジナルコースを作れるというのはとても信じられないほどの魅力を秘めており、オリジナルコースを学校の休み時間に披露しては、友達の家に行ってそれを作って遊ぶというアナログな人気が小学生で流行していました。



そういう自分も数か月後になってからですが、ファミコンを購入しました! もちろん最初に選んだのはロードランナーでした。友達の家で遊んでいても楽しかったので、間違いないだろうと子供ながらに思っていたからです。



・ハードコアゲーマー以外からも注目、一躍有名になった『ゼビウス』!

翌11月にはナムコから出たファミコンソフト『ゼビウス』が120万本の大ヒット!この頃になると、ファミコンはクラスで持っている人がどんどん増え、男子の家に集まってファミコン大会を開くのが盛んになっていった時期でもありました。

この頃の少年は、『野球』などのスポーツ、そして、メンコや釘差しという遊び、そして田舎の人は自然探検、(子供だけで山奥や海にいって冒険した世代)そして、ファミコンでした。

・徐々に女の子にも支持されていったファミコン、1984年~1985年には支持層が確立!

女の子は当初は余り見向きもしなかったファミコンが、その楽しさを触れるようになり、友達の家で遊ぶ機会があって、(主にお兄ちゃん、弟などの友達から)ファミコンを購入する家庭が増えていきます。しかし、この頃の時代はソフト本数が今と比べて非常に少なく、シンプルでした。



1983年(全9タイトル)
7月15日 ドンキーコング(任天堂、192K)★☆[C][S]
7月15日 ドンキーコングJR.(任天堂、192K)★☆
7月15日 ポパイ(任天堂、192K)
8月27日 五目ならべ 連珠(任天堂、192K)★
8月27日 麻雀(任天堂、192K)
9月9日 マリオブラザーズ(任天堂、192K)★☆[C][S]
11月22日 ポパイの英語遊び(任天堂、192K)
12月7日 ベースボール(任天堂、192K)★[S]
12月12日 ドンキーコングJR.の算数遊び(任天堂、192K)★

1984年(全20タイトル)
1月14日 テニス(任天堂、192K)★[S]
2月2日 ピンボール(任天堂、192K)★
2月18日 ワイルドガンマン(任天堂、192K)[光]
4月21日 ダックハント(任天堂、192K)[光]
5月1日 ゴルフ(任天堂、192K)
6月12日 ホーガンズアレイ(任天堂、192K)[光]
6月21日 ファミリーベーシック(任天堂)
7月4日 ドンキーコング3(任天堂、192K)★☆[S]
7月20日[1] ナッツ&ミルク(ハドソン)★☆
7月20日[1] ロードランナー(ハドソン)★
9月7日 ギャラクシアン(ナムコ、128K)
10月5日 デビルワールド(任天堂、192K)★☆
11月2日 4人打ち麻雀(任天堂、192K)
11月2日 F1レース(任天堂、192K)
11月2日 パックマン(ナムコ、192K)★☆[C]
11月8日 ゼビウス(ナムコ、320K)★
11月14日 アーバンチャンピオン(任天堂、192K)★
11月14日 マッピー(ナムコ、192K)★☆
11月22日 クルクルランド(任天堂、192K)★ - Wiiのバーチャルコンソールではディスクシステム版を配信。
11月30日 エキサイトバイク(任天堂、192K)★[C][S]

特に、ナッツ&ミルク、マッピーやクルクルランドあたりになると、女の子もファミコンソフトに手を出し始めたきっかけになったソフトになり、そして、この頃の定番だった、 カセットの貸し借りが起こり始めた頃です。



カセットの貸し借りは基本的に友達同士で行い、それ以外の人とは基本的にやりませんでした。しかし、その友達が別の友達に貸す(又貸し)が横行、いわゆる『借パク』問題が発生します。

これが発生した場合、友達数人で集まり、その知人宅に行き、返してもらうように催促したものです。無事帰ってくることもあれば、
返ってこないこともあったようです。

そんな子供社会での立ち振る舞いをファミコンで教わったような気がします。当時としては高価なカセットを取り戻し、そのお礼についてきてもらった友達にカセットを貸し借り合うということもありました。そんな今の時代でいう親が出てきていろいろと口出ししていた時代ではなかったのです。



・ファミコンが3年目に突入、人気のファミコンソフトが次々と誕生!


3年目に入る1985年初頭は、任天堂製ソフト(故岩田氏が作っていたハル研究所製)のファミコンソフトが続々とリリースされ、バルーンファイト、アイスクライマーなど人気を博します。

この頃になるとサードパーティー製ソフトも幅を利かせ始めます。何せ、ソフト本数自体が少なかったファミコンは、ある程度の友達を介すと大体のソフトが遊べた時代でもありました。



・カートリッジの形状で異彩を放っていたナムコット。

他のファミコンソフトは任天堂製に準じたカートリッジ形状だったのに対し、異彩を放っていたのはナムコから出ていたナンバリングカートリッジです。形状は四角く、ナンバリングが入っており、意図的に覚えてもらおうという意識が明確にあったと思います。

ナムコは真っ先にファミコン参入メーカー第1弾となり、任天堂から信頼を勝ち得て、そして、ソフトを年間いくつ作っても構わないというご褒美と、ロイヤリティ軽減、そしてあのカートリッジも容認した経緯があったようです。

そのナンバリングタイトルは1986年12月に出る『バベルの塔』まで続いていきました。
 


・ファミコンが着実に売れ出し、枯渇するほどに・・・

ファミコン以前までは、エポック社のカセットビジョンが40万台というニッチな市場を築いていて、まだTVゲーム文化が定着していない時代を担っていました。又ファミコンがドリフ大爆笑などのファミリー層に向けたTVCMも積極的に行い、いまとは比べ物にならないほどの宣伝効果がありました。

なにせ、ビデオレンタルすらまともになく、TVは娯楽の王様でした。今のネット環境なんて考えられないほどです。そして、1984年には211万台、1985年には411万台を販売してその存在を不動のものにします。

ライバルもスーパーカセットビジョンJrや、セガもマーク2などのモデルチェンジ版を出し、攻勢に出たものの、ファミコンの足元にも及ばず惨敗します。



特にスーパーカセットビジョンJrは破格の5000円でした。しかし、グラフィックが貧弱なのは相変わらずで、コントローラーも改善されたとは言い切れず、ファミコンの快進撃を止めることはできませんでした。クラスで持っていた人はほとんどいません。



・セガのSG-1000Ⅱがファミコンと間違えて買ってくる親が続出!

1984年の7月に発売されたモデルチェンジ版となるセガSG-1000Ⅱが発売されました。当然、ファミコンユーザーはほぼ見向きもしなかったんですが、ここで悲劇が起こります。ゲームに当時まったくといっていいほど疎かった親の存在です。

ゲーム機=ファミコンという意識を持っていて、お子さんにファミコンをねだられ、そして、購入するに至るも、それはファミコンではない『セガのファミコン』SG-1000Ⅱだったのです!

これを運命として受け入れた子供もいれば、駄々をこねて買いなおしてもらう子もいました。しかし、大半は運命として受け入れ、セガの道へと進んだ子供が古参セガゲーマーとしての役割を担うことになります。


CPU Z80A(3.58MHz)
RAM 1KiB
V-RAM 16KiB
同時表示色数 : 15色 + 1色
スプライト : 8 × 8ドット
サウンド機能:SN76489(PSGと機能はほぼ等価。ハードウェアによるエンベロープが無い反面、ノイズの出力をトーン出力と独立して制御可能になっている)
ジョイパッド接続端子2個 パッド2個付属
ポーズボタン 本体に設置、ゲーム一時停止 / 再開用
ROMカートリッジスロット1個
拡張用スロット1個 外付けキーボードSK-1100等の接続に使用


スペックもファミコンを超えたというものではなかったため、値段もファミコンとほぼ同等の1万5000円で、ゲームマニアには支持されていたものの、一般的な子供やゲーマーはあの『せ~が~』というCMからも一線を置いていたものです。

今でこそ、キャッチコピーとして成功しているジングルですが、昔は自分たちとは違うものだという主張にしか聞こえなかったものでした。



・1985年はファミコンゲーム最盛期、一番熱く盛り上がった時代!

1985年(全69タイトル)
1月22日 バルーンファイト(任天堂、192K)★☆[C][S]
1月30日 アイスクライマー(任天堂、192K)★☆[C][S]
2月11日 エクセリオン(ジャレコ、192K)★
2月15日 ギャラガ(ナムコ、192K)★☆[C]
2月21日 ファミリーベーシックV3(任天堂)
2月22日 バンゲリングベイ(ハドソン)
4月4日 フォーメーションZ(ジャレコ、192K)★
4月9日 サッカー(任天堂、320K)★[S]
4月17日 スペースインベーダー(タイトー)
4月17日 チャンピオンシップロードランナー(ハドソン)★
4月22日 イー・アル・カンフー(コナミ、192K)★☆[C]
4月22日 けっきょく南極大冒険(コナミ、192K)★☆
5月10日 忍者くん 魔城の冒険(ジャレコ、192K )★
5月24日 ちゃっくんぽっぷ(タイトー)★☆
6月4日 ディグダグ(ナムコ、192K)★☆
6月14日 FLAPPY(デービーソフト、512K)★
6月18日 レッキングクルー(任天堂、320K)★☆[S]
6月20日 スターフォース(ハドソン)
6月21日 スパルタンX(任天堂、320K)
6月21日 ハイパーオリンピック(コナミ)
6月28日 エレベーターアクション(タイトー)★☆
7月9日 フィールドコンバット(ジャレコ、192K)★☆
7月11日 ロードファイター(コナミ、192K)
7月12日 ワープマン(ナムコ、192K)
7月18日 ジッピーレース(アイレム、192K)
7月18日 ドアドア(エニックス、512K)
7月25日 スーパーアラビアン(サンソフト[サン電子]、192K)
7月26日 ブロックセット(任天堂、320K)[R]
8月1日 フロントライン(タイトー)★☆
8月6日 ドルアーガの塔(ナムコ、320K)★☆
8月9日 アストロロボSASA(アスキー、320K)
8月10日 本将棋 内藤九段将棋秘伝(セタ)
8月13日 ジャイロセット(任天堂、320K)[R]
8月28日 ゲイモス(アスキー、320K)
8月30日 10ヤードファイト(アイレム、192K)
9月9日 バトルシティー(ナムコ、192K)★☆
9月13日 スーパーマリオブラザーズ(任天堂、320K)★☆[C][S]
9月20日 プーヤン(ハドソン)★
9月27日 ハイパースポーツ(コナミ)
9月27日 シティコネクション(ジャレコ、256K)★☆[S]
10月4日 ルート16ターボ(サンソフト[サン電子]、320K)[S]
10月15日 チャレンジャー(ハドソン)★☆
11月8日 キン肉マン マッスルタッグマッチ(バンダイ、320K)[J]
11月14日 スカイデストロイヤー(タイトー)
11月15日 忍者じゃじゃ丸くん(ジャレコ、256K)★☆
11月21日 マッハライダー(任天堂、320K)★☆
11月21日 パックランド(ナムコ、320K)
11月21日 おにゃんこTOWN(ポニーキャニオン、320K)
11月21日 パチコン(東芝EMI)
11月27日 バーガータイム(ナムコ、320K)★ - Wiiのバーチャルコンソールではディスクシステム版を配信。
11月28日 いっき(サンソフト[サン電子]、192K)★☆
11月29日 ポートピア連続殺人事件(エニックス)
12月5日 カラテカ(ソフトプロ)
12月5日 ルナーボール(ポニーキャニオン)★
12月6日 スターラスター(ナムコ、320K)★☆
12月7日 高機動戦闘メカ ヴォルガードII(デービーソフト、512K)★
12月7日 スペランカー(アイレム、320K)★☆
12月10日 超時空要塞マクロス(バンダイ)
12月11日 1942(カプコン、320K)
12月11日 ダウボーイ(KEMCO[コトブキシステム]、192K)
12月14日 ボコスカウォーズ(アスキー、320K)★
12月14日 頭脳戦艦ガル(デービーソフト、512K)
12月16日 オバケのQ太郎 ワンワンパニック(バンダイ、320K)
12月19日 テグザー(スクウェア、512K)
12月20日 バイナリィランド(ハドソン)★☆
12月20日 ボンバーマン(ハドソン)
12月21日 エグゼドエグゼス(徳間書店、512K)
12月21日 ロットロット(徳間書店、512K)
12月25日 ぺんぎんくんWARS(アスキー、320K)


この頃になると、サードパーティーからもソフトがいろいろで出し、良しあしを見ることになります。いわゆる『バンダイ=クソゲー』『カプコン=難しい』など、ファミコンユーザーに定義されていくことになります。さすがにこれ位のソフト数になると、やっていないソフトも続出して、友達の友達から話を聞く程度で終わることも多々でした。  

この頃の自分はイーアルカンフーにハマり、100面クリアをして2週目もやっていたりしていたものでした。いわゆる『同じコマンドを連打してハメ技』を駆使し、ある程度の面数までは、それでいけたので、それ以降が本番といった感じでしたね。

自分で買った2本目は『スパルタンX』でした。CMで『あちょー』なんて声が出ていて、実際のファミコンではそんなクリアな音声ではないいわゆるちょっとした詐欺がありましたね。



しかし、この頃の少年少女は任天堂が絶対ではありませんでした。他のメーカーのソフトをあまり知識がない中購入してクソゲーをつかまされる時代に入ったのです。しかし、あるソフトをきっかけに任天堂が絶対的になる出来事が起こります。

そう、スーパーマリオブラザーズの発売です・・・(続く。)




この頃のファミコン評価 ☆★★★★★★★★★10/9点!

ゲームも楽しく大満足、ファミコンゲーは飽きるのが早かったけど、それでもすぐに始めてすぐに終われるシンプルな楽しさは当時をリアルタイムに経験した人ならだれでも思い出すものでしょう。ファミコンはその時代にうってつけでした!

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