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『ファミコンが誕生する遥か前にアタリが成功を収めていた市場が崩壊する『アタリショック』を解説している記事』が掲載中。

ファミコンが誕生する遥か前にアタリが成功を収めていた市場が崩壊する『アタリショック』を解説している記事が掲載中。市場が壊滅した事で、任天堂はロイヤリティー契約制にしたんですよね。









さて、アタリと聞けば思わずニヤッとするゲームファンも多いはずだ。それもそのはず。世界初のビデオゲーム専門会社として北米で誕生したアタリは、ファミコンの登場する約6年前、1977年にこれまた世界初のカートリッジ式のゲーム機「アタリ2600」を世に放った会社だからである。

 本書で紹介されている「アタリ2800」は先の「2600」をベースに、本体のデザインやコントローラの形状を変更して1983年5月から販売開始された家庭用ゲーム機である。当初、本家の「2600」を並行輸入品として東洋物産とエポック社から発売していたアタリであったが、この「2800」をもって、満を持して本格的に日本でのテレビゲーム市場へ打って出たというわけだ。

 しかし、黒船として華々しくデビューした「2800」は、わずか1年足らずで日本市場から撤退することになる。本体と同時発売で、当時一世を風靡していたアーケードゲーム「スペースインベーダー」などを擁した「2800」であったが、不幸だったのはやはり、わずか2ヶ月後にファミコンが登場したことだった。

 ハード面では変更点のなかった「2800」に対して、ファミコンは「2600」の発売から約6年もの歳月の中でじっくりと先行他機種を研究し尽くした末にできた代物だった。加えて、ファミコンの価格が1万4800円であったのに対して、「2800」は2万4800円と1万円も高く、対峙するにはあまりにも分が悪すぎたのだ。

 そして、ちょうど時期を同じくして、アタリのお膝元である北米ではテレビゲーム市場に異変が起き始めていた。発端は1982年頃からで、本家の「2600」をきっかけにバブルともとれる状況の中、様々な業種がテレビゲームのソフト市場へと参入しはじめた。

 しかし、新規参入が相次ぐ中で起きたのは、粗悪品が濫造されるという事態だった。アタリは当初、ロイヤリティを支払いさえすれば自社のハードへ誰でもソフトを供給できる体制を取っていた。ただし、本来は“餅は餅屋”であるべきで、ゲームを作るのはそれ相応の技術や実績を持つ者が担うのが定石であるはずなのだが、慣れない業種の参入で結果的に“クソゲー”が市場へ出回ったことで信頼はガタ落ち、北米のテレビゲーム市場は崩壊へと向かった。

 この一連の事態は俗に「アタリショック」と呼ばれている。くしくもその窮地を救ったのが、任天堂が1985年6月に発売した海外仕様のファミコン「NES(Nintendo Entertainment System)」だったのはあまりにも皮肉である。

 ただ、様々なメーカーによる切磋琢磨があったからこそ、今日のテレビゲーム市場が切り開かれたのも事実。長い長い歴史の中で、アタリもたしかにその名を刻んできたのである。


・・・としていて、アタリショックを描いたものになっていますね。ファミコンの1年前に輸入されても時すでに遅しという有様で、1万円も高く、そしてスペックも劣るとあって、完全に流れはファミコンに移っていったというものだったんですね。


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