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故岩田氏の1周忌を迎えるにあたって、当時の札幌南高校時代の貴重な素顔を紹介(リライト記事)



故岩田氏の1周忌を迎えるにあたって、当時の札幌南高校時代の貴重な素顔を紹介(リライト記事)この頃から才能の片鱗を見せ付けていて、ほかの人とは違うカリスマ性があったようですね。


世界に一大ムーブメントを巻き起こしたスマートフォン向けアプリ「ポケモンGO」。この配信を誰よりも楽しみにしていたであろう人が、任天堂の前社長、岩田聡さんです。プログラマーとして数々のゲームをヒットさせた岩田さん。42歳の若さで任天堂の社長に就任してからは、誰もが楽しめるゲームづくりを目指して「ニンテンドーDS」や「Wii」などのゲーム機を開発し、直感的な操作や家族みんなで楽しめる体感型のゲームといった新たな楽しみ方を世の中に提示しました。

世界に惜しまれつつ、去年7月、55歳の若さで亡くなった岩田さん。1周忌にあたり、母校、札幌市の札幌南高校の同級生たちが、高校時代の岩田さんの思い出を電子書籍にまとめました。同級生たちがこぞって“カリスマの原点だった”と語る高校時代の
岩田さんの素顔とはーーー。(飯嶋千尋 記者)


きちょうめんすぎる性格

岩田さんの性格がうかがえる1冊のノートが残っています。札幌南高校時代の化学のノート。受験前に同級生の保科文紀さんが岩田さんから借りました。卒業後、ノートを返しそびれてしまいましたが、代わりに、その後40年ほど大切に保管して来ました。

ノートは、まるでパソコンで打ち込んだ文章のようにきちんと文字が並び、ペンで書き間違えた部分はわざわざ字を削り取って修正。ぱっと見ただけでは修正の跡がわからないほどです。高校時代からきちょうめんな性格だったことがうかがえます。

保科さんは「まるで参考書のように整理されていて、よい人にノートを借りたと思っています。ノートを返しそびれたことがずっと心に残っていましたが、今となっては、こうした機会のために『返さなくていいよ』と岩田が言ってくれたように思います」と振り返ります。


データ分析の力

そうしたきちょうめんさは、部活動でも発揮されていました。バレーボール部に所属していた岩田さん。高校から始めたため、試合に出る場面はあまりなかったと言います。しかし、チームメートの上月正博さんは、顧問の教師から「下手くそ」と言われながら、日々体育館を転げまわって練習に励む岩田さんの姿をよく覚えていました。

部活動で見せたのは、負けん気の強さや、努力をいとわない姿勢だけではありません。2年生の後半ごろからマネージャー代わりとなっていた岩田さんは、アタックの決定率やミスの回数など、チームの戦力や敗因を分析したデータをまとめていました。しかし当時は、「気合で乗り切る風潮が強かった」(上月さん)ため、データが活用されることはなかったと言います。

プログラマーとしての才能の一端をうかがわせるエピソード。上月さんは、「データを客観的に突きつけられると耳をふさぎたくなりました。今はデータを活用した試合展開を考えることが主流になっていますが、当時はそんな風に活用することができなかった。今思うと彼はすごいことをしていたと思います」と悔やんでいました。


“冷静さ”と“ちゃめっ気”と

人を楽しませるには、何よりまず自分が最大限楽しまなければーーー。岩田さんの「エンターテイナー」としての才能も、その原点を高校時代にたどることができそうです。この写真は、札幌南高校の卒業式の一場面。この高校では、当時から、クラスの代表が仮装をして卒業証書を受け取るのが伝統になっていました。岩田さんは和装した同級生をカゴで担いで運ぶ役割を任されたのです。

誘ったのは、和装で写っている牧内勝哉さん。岩田さんのことを、どちらかと言えば「かっこつけ」だと思っていたという牧内さん。笑いものになるに違いないカゴ持ちなんて、あいつはすぐ断るに違いないーーー。軽い気持ちで誘ったところ、岩田さんはあっさり首を縦に振って牧内さんを驚かせます。

カメラマンに向かってガッツポーズをする岩田さん。牧内さんは「今で言う『どや顔』で写っている岩田を見て、印象ががらっと変わりました。ものごとをおもしろがるタイプの人なんだな、とその時に気付きました」と懐かしんでいました。


関連リンク(リンク切れ)


岩田さんの貴重な一面をしることができる話になっており、高校生の頃からやはり存在感がひときわ大きかったようですね。今のスイッチの成功を喜んでいるでしょうね。

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