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セガハードのミドルウェア会社からスタートしたCRIの当時の成り立ちをプレイバック(リライト記事)



セガハードのミドルウェア会社からスタートしたCRIの当時の成り立ちをプレイバック(リライト記事)セガサターンから頭角を現し、動画や音声圧縮技術等を駆使して、ドリームキャストでも一翼を担い、そして、独立して今に至りますね。


―――ミドルウェアビジネスに携わるようになったきっかけは何でしたか?

セガサターンではCD-ROMドライブでリアルなサウンドや声優の声が再生できるようになりました。ただピックアップレンズは一つなので、一度に一つの音しか流せなかったんですよね。自分としてはそこを何とかしたかった。もともと楽器をやっていたこともあって、オーケストラの音楽をバックに声優さんのボイスを流したいという願望がありました。そこで音声圧縮とマルチストリーミングの技術を自社開発して、多くの企業に使ってもらおうと思ったんです。

―――その発想がめずらしい。

まだミドルウェアという言葉も、ライセンスビジネスという考え方もありませんでしたからね。とはいえ、せっかく作ったのだから、できるだけ多くの人に使ってもらいたいという思いがありました。

―――そのうちの一つがRPG『グランディア』でしたよね。

よくご存じですね。あれでようやく、自分が思い描いた世界を実現してもらえました。他にも『サクラ大戦』など、50本くらいのタイトルで採用されました。

―――ドリキャスではどういった技術を開発されたのですか?

セガサターンでは音声メインでしたが、ドリキャスでは映像側も本格的に挑戦することになりました。ビデオ再生をハード側で完全にコントロールすることになり、当時SH-4というCPUを供給していた日立さんと、共同でチップのアーキテクチャを作るなどして、映像や音声をより再生しやすい環境を整えました。ハードに搭載されたこともあり、全世界で450タイトルくらい採用してもらえたんです。ただ、セガがハード事業を撤退することになり・・・。

―――分社だとか、グループ再編がありました。

はい。CSK総合研究所から、あらためてCRI・ミドルウェアという名前になり、ミドルウェア事業を柱に事業を進めていくことになりました。2001年8月のことです。

―――ミドルウェアがビジネスになるという勝算はありましたか?

実際、そうとう悩みました。当時、取締役だった野沢隆(故人)と松下操の三人でよく話をしました。「独立して何を売るの?」って。ところが運が良いことに、その頃からマルチプラットフォームという考え方が出てきて、ミドルウェアの需要も高まってきました。おかげさまでPS2からPS3まではゲーム機向けに業績が飛躍的に拡大していきました。

―――今から考えれば、家庭用ゲームの黄金時代でしたね。

そうかもしれません。実際、国内で家庭用ゲームの市場が次第に縮小していくにつれて業績も停滞しがちになり、2007年から2010年くらいまで冬の時代を迎えました。ようやくここ3年くらいからスマホでネイティブアプリの時代になって、業績が回復していきました。

業績推移。スマートフォンの波に乗り、順調な成長を遂げている。


―――フィーチャーフォンのソーシャルゲームでは音が鳴らないのが当たり前でした。

そうした時代を支えてくれたのが遊技機向けの市場でした。実はドリキャスの心臓部だったSH-4が、遊技機の基板向けにかなり浸透したんです。弊社はSH-4向けに動画コーデックを開発していましたので、そのおかげで遊技機向けビジネスに参入できました。そこから次第に液晶が大きくなり、演出も派手になって、まるでゲームの映像のようになっていき、弊社の映像・音声圧縮技術を使っていただけるようになりました。

―――なるほど。それはおもしろいですね。

他に最近では医療・ヘルスケア分野も手がけているんですよ。ゲームのサクサクしたUIのノウハウを活かして、製薬会社の営業スタッフが使用する営業支援ツールを開発しました。病院で医師向けに、タブレットで短時間で効果的にプレゼンできるツールが欲しいというニーズがあり、弊社にお声がけいただいたんです。


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セガグループの一員としてサターンやドリームキャストで頑張っていましたが、ハード事業が無くなり、そして、他機種への支援を始めたあたりから第2幕がスタートした感じでしたね。

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