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【なぜ任天堂の社長になれたのか】『任天堂『岩田氏』その半生をプレイバックしている記事』が掲載中。

任天堂の社長になった岩田氏ですがその半生の一部が記載された記事が掲載中。この記事を読むと先見性の高さ、そして時代の流れを読む感性、そしてなぜ社長になれたのか。







http://gametabloid.blog.fc2.com/blog-entry-37.html

昔、高校生だった岩田少年は、ある日コンピュータに出会います。
コンピュータといっても、当時はまだパソコンもない時代であり、
ここではマイコン(マイクロコンピュータ)というものを指します。
マイコンを見た岩田少年は「これからはコンピュータが世の中を変えていく」と直感します。


そして、米ヒューレット・パッカード社のプログラミングができる電卓"ポケコン"を
岩田少年は入手します。
(アポロ計画で宇宙に持ち込まれた高機能電卓)
岩田少年は電卓でのゲーム作りにのめりこみ、友達にそのゲームを見せて
一緒に楽しんでいました。
その友達とのやりとりで、岩田少年は"人に満足してもらえることの喜び"を知り、
ますますゲーム作りに精を出すようになったのです。


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大学生になった岩田青年は、池袋で同好の士に出会います。
その頃やっとパソコンが世に出回り始めていて、
池袋の西武百貨店のパソコンコーナーがパソコン好きが集う場所になっていたのです。
そこで知り合った仲間たちが、ゲーム開発会社"HAL研究所"を設立したのです。
(HALとはアルファベットで I・B・M の一つ前の文字であり、
当時の世界最大のコンピュータ会社IBMの一歩先を行くという壮大なネーミングです)
岩田青年も、大学時代からHAL研究所でアルバイトするようになり、
大学卒業後はそのままHAL研究所に入社することになるのです。


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岩田氏がHAL研究所に入社した翌年の1983年、ある物を目にした彼の全身に衝撃が走りました。
それこそが、任天堂のゲーム機"ファミリーコンピュータ"です。
当時のファミコンの性能は正に圧倒的で、しかもそれがわずか14800円、
パソコンとは比べものにならないほど安価で手に入るのである。
「これは世の中が変わる気がする、是非ともファミコンでゲームを作ってみたい!」と、
岩田氏の夢は膨らんだのです。


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ファミコンがゲーム市場で圧倒的な普及をしたことはみなさんご存知だと思いますが、
実は発売当初から順風満帆だったわけではありません。
ファミコンのCPUに用いられた"6502"という規格は非常にマイナーでした。
このようなマイナーなCPUを選択した背景には、
ファミコンの設計をコピーしようとする他社への牽制の意味があり、
その点では効果的だったのですが、そのマイナーさゆえ任天堂社内でもこのCPU
に精通した者は少なく、ソフト開発は難航していました。


そんなある日、岩田氏はゲームソフトの受託開発のために任天堂本社を訪ねたのです。
岩田氏は、ファミコン発売から数ヶ月の時点でCPUが6502であることを見抜いており、
その特性や裏技を次々に公開して任天堂社員たちを驚かせました。
岩田氏が初めて買ったパソコン(コモドール社のPET)に使われていたCPUが
偶然にも6502だったため、それでゲームを作りまくっていた岩田氏は任天堂の
誰よりも6502を熟知していたのです。


首尾よく仕事を請け負った岩田氏は、次々にソフト開発をこなして行きました。
岩田氏はプログラマーとしても超一流で、
任天堂社内ではどうやってプログラムしたらいいかわからずに頓挫していたソフトも、
あっという間に完成させてしまった程です。
"ゴルフ"のボタンをタイミング良く3回押す"チャー・シュー・メン"のシステムや、
"バルーンファイト"の慣性プログラムなどは、岩田氏が手がけたものとして有名です。
(この慣性プログラムは、後に"スーパーマリオブラザーズ"の水中ステージに活かされました)
岩田氏の貢献によって、任天堂およびHAL研究所は勢力を拡大していったのでした。


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ファミコンのヒットと共に急成長を見せたHAL研究所でしたが、1992年には
倒産の危機に立たされていました。開発拠点の新設のための費用が嵩んだことや、
ゲームソフトの販売不振などが重なり、資金繰りが急激に悪化していたのです。
業績回復の目処は立たず、多額の負債を抱えたHAL研究所は和議
(現在の民事再生法)を申請。事実上の倒産となります。


そこへ、当時の任天堂社長だった山内溥氏が資金援助を表明してくれました。
条件はたった一つ"岩田聡をHAL研究所の社長にすること"。
まだ32歳という若さだった岩田氏は、その責任の重大さに戸惑います。
今までゲーム制作しかしてこなかった自分は経営に関してはド素人。
しかも負債額は15億円にも上る。
もし返済できなかった場合は負債は全て自分が抱え込むことになる。
岩田氏の葛藤は想像に難くありません。
しかし、岩田氏は一念発起して経営の建て直しに尽力したのでした。


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山内氏の目論見通り、岩田氏は社長としても高い経営手腕を発揮。
"星のカービィ"や"MOTHER2 ギーグの逆襲"、"大乱闘スマッシュブラザーズ"
などを大ヒットに導きます。(岩田氏は開発が難航して発売中止寸前だった
MOTHER2の開発現場に社長兼プログラマー兼プロデューサーとして参加。
「これを今のままで直していくなら2年かかります。でも、一から作っていいなら
1年以内にやります」と発言し、実際に1年で完成させるという離れ業をやってのけました)
HAL研究所は15億円の負債をわずか6年で完済し、見事に再建を果たしました。


岩田氏の経営者としての能力が優れているのはもちろんですが、
その才能を見抜いていた山内氏の眼力には感服します。
山内氏は、岩田氏の能力を高く評価し、任天堂の取締役経営企画室長として招きました。



・・・と岩田氏の社長としての先見性、そして知性も感じる記事にになっていますね。ファミコンとの
出会い、そしてHAL研での倒産危機、そして山内氏との信頼関係、MOTHER2の裏話など
岩田氏じゃ不可能じゃなかったのかなと思えるエピソード満載。

任天堂がなぜ内部の社員でなく後継者として岩田氏を指名したのかがよくわかる内容ですね。


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5 Comments

ゲーム情報さん  

任天堂で一番すごいのは山内さんだと思う。
人を見る目がずば抜けてる。
マリナーズにイチローを獲れと言ったのも彼のはず。

2011/12/14 (Wed) 16:41 | EDIT | REPLY |   

marukomu  

山内氏の目の付け所はすごいですよ。普通の会社だと
山内氏の親族か部下が社長になっても不思議じゃないのに
外部から来た岩田氏を指名したわけですしね。
マリナーズをイチローを支援しているのもうなずけますね。

2011/12/14 (Wed) 16:55 | EDIT | REPLY |   

     

組長、横井、宮本、岩田のラインは本当に歴史的人材だと思う。
けど今後このレベルの人が任天堂に現れるのかな。
十数年後、次期社長は外人とか呼んでくるかもね。

2011/12/14 (Wed) 17:01 | EDIT | REPLY |   

ゲーム情報さん  

まあ、というか理数系の最高学府である東工大に入る時点で、普通の人間がどうこう文句を言えるレベルじゃないけどね。

2011/12/14 (Wed) 20:50 | EDIT | REPLY |   

ゲーム情報さん  

ここにコメントするんじゃなくて、転載元にコメントしてあげようよ……。

2011/12/24 (Sat) 00:55 | EDIT | REPLY |   

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